香 山 リ カ 室
第10回 わが人生最大の発見 (2003/08/25)


  最近、部屋の設備がよく壊れる。

先月は、「お宅のトイレの水の水圧が異常に下がっていますよ。外からメーターを見ていればわかります」とアパートの管理人さんに指摘された。その“自覚症状”はなかったのだが、言われるがままに、直前にあわてて部屋をかたづけて業者に来てもらい、修理してもらった。確かに水の流れがよくなったような気もしないでもないが、それほど生活が改善した!という実感はない。

そうこうするうちに、今度は給湯器がこわれた。こちらはまだなおしてもいない。いつ業者に来てもらえばよいか、そのめどさえ立っていない。

こうして書き出すといかにも“アクシデントの多い人生”を送っているように思われるかもしれないが、その逆だ。最近、変わったこと、といえば「トイレの調子がおかしくなった」「給湯器が作動しない」くらいしかないほど、淡々とした毎日なのである。

精神分析家のM.バリントは、人間を、「スリルを楽しむ人。個人のスキルの獲得を特徴とする」というフィロバットと、「安全感が脅かされると対象に依存し、しがみつこうとする人」というオクノフィリアというタイプに分類した。あまり普及していない分類であるし、私もその意義まで十分に理解しているとは言いがたいのだが、「たしかにあるよな、この両タイプ」と経験的に納得できるので、自分の中では人を見るときによく使っていた。

そして、私はこれまで、自分のことをフィロバットだと信じて疑わなかった。映画でも遊園地の乗り物でもスリルがあるものが嫌いではなく、「キャーこわい!」と言ったりも絶対にしない。コンビニに行けば、新しく出た飲料水やスナック菓子にも必ず手を出す。

しかし、40歳もすっかり中盤にさしかかってくると、「こうありたい」という理想イメージがだいぶ薄らいできて、「本当はこうだ」という飾りのない自分の姿がよく見えてくるようになる。そうなってみて私は気づいた。私は決して、新しモノ好き、冒険や危険大好きのフィロバットなんかじゃないのではないか。

かといって、何かにしがみつこうとするオクノフィリアかどうかはまだわからないのだが、とにかく基本的には「変わるのはかんべん」と思っている。「このままでけっこう」という気分が、自分の内外にあふれている気がする。ジェットコースターにも乗りたくなどないが、乗ってしまえば「コワイ!」と叫ぶのも億劫なので、そのまま座っている。部屋は快適になどならなくてもいいから、とにかく壊れないでほしい。たしかに新しい飲み物などは好きだが、それとてコンビニの中だけのことで、「コンビニで買い物」という大枠じたいを変えるつもりはまったくない。これは、スリルを求める、という姿勢とはかなり違う。

43年生きてきて、わかったこと。そう、私はフィロバットなんかじゃないんだ!安定志向、というか徹底的なプラトー志向、「停滞こそわが命」というのが私の本当の姿なのではないだろうか?

・・・って、それだけなのか?それが、43年生きてきた私の発見のすべてなのか?なんだか空しい気もするが、こんなものだよな、と妙に腑に落ちる感もある。それにしても、部屋の電気などガスだのの設備は、これ以上壊れないでもらいたいものだ。



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